多摩ニュータウン・エステート聖ヶ丘-3団地は多摩市聖ヶ丘にある30棟、240戸の中規模団地です
 
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多摩ニュータウン・エステート聖ヶ丘-3団地  多摩市聖ヶ丘3丁目51番地、52番地
京王永山駅・小田急永山駅から聖ヶ丘団地行きバス10分
 

聖ヶ丘の昔と地名の由来

 

以前は連光寺村の一部だった


多摩市都市整備部都市計画課が編纂した1988年3月31日発行の「多摩市の町名」の中に、以下のような記述があります。

連光寺の小字名
中尾根 2030~2113番地
 連光寺のほぼ中央に位置する尾根であることによると思われる。この尾根によって本村と馬引沢が分かれている。現在、聖ヶ丘一丁目~三丁目、一部が連光寺五丁目となっている。

天井返 2114~2161番地 
 大谷戸の奥(南東)の山間で、この谷間から大谷戸川は始まる。延享3年(1746年)の検地帳に「天井返し」の名がある。この天井返は、本来は「天井返り」といって連光寺本村の方から行くと、一番奥(天井)にあたり、そこからまた引き返すということから天井返りといっていたそうである。現在の通称東部団地(昭和37年頃分譲)といわれる区域のほとんどが含まれ、聖ヶ丘三丁目~五丁目、連光寺五丁目となっている。


 この記述から、現在のエステート聖ヶ丘-3団地の位置は「中尾根」と呼ばれる小字の一部だったことが想定されます。「聖ヶ丘」という地名は多摩ニュータウンの造成が始まってしばらくして、第4住区の造成がまもなく始まりそうな時期、昭和55年11月に設定されました。当時民間の分譲住宅として東部団地がすでに存在したので、それを含めて新しい地名が考えられたようです。

 地名の由来については、「多摩市の町名」に以下のような記述があります。


 ここは、明治天皇が兎狩などを楽しまれた御猟場の一部であり、明治天皇御野点所の碑も多くあり、近くには多摩聖蹟記念館があるなど明治天皇ゆかりの地(「連光寺」参照)であることから、聖蹟の「聖」の字を採って「聖ヶ丘」と命名したものである(乞田川を挟んで桜ヶ丘や聖蹟桜ヶ丘駅があることにもよる)。

聖ヶ丘の町区域設定・変更の経緯
昭和55年11月1日、次の区域をもって聖ヶ丘三丁目を設定する。
 聖ヶ丘三丁目・・・関戸字原地、連光寺字中尾根・字天井返の各一部

昭和58年2月1日、次の区域をもって聖ヶ丘一・二・四丁目を設定し、聖ヶ丘sんち目に変更する。
 聖ヶ丘一丁目・・・連光寺字本村・字大谷戸・字打越・字南田・字諏訪坂・字中尾根の各一部
 聖ヶ丘二丁目・・・連光寺字大谷戸・字諏訪坂・字馬引沢・字中尾根の各一部
 聖ヶ丘三丁目・・・関戸字原地、連光寺字馬引沢・字乗越・字中尾根・字天井返・字船ケ台の各一部
 聖ヶ丘四丁目・・・関戸字原地、連光寺字馬引沢・字乗越・字天井返・字船ケ台の各一部

昭和58年11月1日、次の区域をもって聖ヶ丘g丁目を設定する。
 聖ヶ丘五丁目・・・関戸字原地、連光寺字乗越・字天井返の各一部


 この記録を見ると、聖ヶ丘三丁目が最初に設定されていることがわかります。これは東部団地がすでにあったためですが、東部団地が開発予定地の真ん中辺にあったため、三丁目が最初に設定されることになったようです。ちなみに三丁目一番地は東部団地にあります。
 

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